体験していないことのユーザ体験 - プログレUX
何事も突き詰めると、そのもの自体が脱構築されてしまうということがよくあって(ex. ジョンケージの4:33)、ユーザ体験を突き詰めるとやはり"体験していないことの体験"をどうデザインするかになってしまうんじゃないかな。
というTwitterのつぶやき風に始まる本稿なのだけど、今日はそんなプログレUXについて考えてみたいと思う。
体験しなくても体験できるのではないか?
最近、飲んだ時に「まだ読んでいない村上春樹の新作を語る」というゲームをすることがある。
「今回は割と早くに女の人がいなくなったよね」
「パスタは思ったほど茹でなかったな」
とか、村上春樹あるあるを言い合ううちに「私が騎士団長を殺した」とか思わぬ方向に話しが弾んでとても楽しい(まったく無益な会話なのだけど)。
普通、意見の相違があると「そんな事実はない」と怒っても良いところ「なるほど、そこから先は違う認識なのか」と村上春樹に対してお互いの共通認識を探る行為がまた楽しい。
これは村上春樹の新作を読むという体験に含まれるのだろうか?
課題図書 : 読んでいない本について堂々と語る方法
そんなことを会社の定例で話していたら、弊社メンバーのLenaさんが「読んでいない本について堂々と語る方法」という本を紹介してくれた。
遅読派の自分にとっては願ってもいない本である。そして、ふざけたタイトルだが、立派な哲学書でもあった。かいつまんで説明すると
- 本に書かれていることを真に理解することはできない
- 読んでも忘れるし、人は無意識に本から別の意味を読み取ってしまう
- 読まなくても、他人の感想を聞いていれば大体感想は述べられる
といったことが書かれている。
体験していない人のペルソナを考える
多くの体験は、感想を人に伝えることで完結する場合が多い(最初の顧客の感想を聞いた人が次の顧客となり...、という円環構造のカスタマージャーニーマップを想像してほしい)。
それであれば、感想を人に伝えるところだけ体験すれば消費体験は成立するのではないか?というのが今回の問題提起なのだけど、それを想定したペルソナを考えて見るのはなかなか興味深い。
ポケモンGoを遊んでいない人も「親がはまっていて...」と感想を述べることはあるし、例えばインスタグラムには「体験しなかった人(対象としていないユーザ)」のペルソナをつくって巧妙にユーザ層をコントロールしているような気もする。
Instagramを体験しなかった人のペルソナ例
まだまだ議論の余地はあるが、体験していない人に何を体験させるか。これがUXデザインの最前線(または最辺境)として、本稿を終わらせたい。
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セオ商事のプログレッシブ Advent Calendar 2017
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