分からないことのユーザ体験 前編 / プログレUX
"体験していないことのユーザ体験"に続いて、ずっと頭の中にありつつも、これまで考察できていなかったことについて掘り下げてみたいと思う。
それは、"分からない"ということのユーザ体験である。
とかくサービスやUIの設計、そして広告関連の仕事をしていると、
「分かりやすさ」というのは圧倒的正義であり、「分かりにくさ」というのは悪でしかない。
という思考に陥りがちである。
そして、我々は知らぬ間に「分かりやすさ」を意識するあまり「分かりにくさ」を考えられなくなってしまっている可能性がある。
「なぜ、分かりにくさに執着するか?」と問われるとしたら、流行っているものの多くが分かりにくいものであり、そしてそれぞれの「分かりにくさ」が体型化されていないからである。
例えば、
- あの難解なビットコインがなぜ流行っているのだろうか?
- スナップチャットのUIは分かりやすいか?
- 今、哲学書が流行っている理由は?
- デヴィッド=リンチの作品に人気があるのは?
こうして並べてみてると、私たちは納税手続きの分かりづらさに激怒しながらも、同時に分かりにくいものを求めていることに気づくだろう。
そこで、「"分かりにくさ"とは何か?」という問いを立ててみたい。
最終的には「分かりにくさ」の本質をとらえることで、分かりにくさを乗りこなすヒントを手に入れるところまでをゴールとする。
まず、考察を深めるために「分かりにくさの分類学」という視点で、"分かりにくさ"を整理することから始めたいと思う。
"分かりにくさ"を大きく2つに分ける
分類するにあたって、手始めに"分かりにくさ"を大きく悪い分かりにくさと善い分かりにくさに分けてみたい。
"悪い分かりにくさ"とは、対象の価値を減らしてしまうものである。そして"善い分かりにくさ"とは、対象の価値を減らさないどころか、高める可能性を持つものである。
現実の善悪と同じように、これは"分かりにくさ"の傾向を示すもので、この2つの間には無数の中間地点があり、さらに善悪の判別がつかないものも含まれる。
悪い分かりにくさの分類
続いて、我々がUIUXを考える際によく取り組んでいる"悪い分かりにくさ"から分類してみたい。
分類1 : 怠惰による分かりにくさ
これは単に実装者側の怠惰 / 技能のなさ / 経済的理由などによって生まれる分かりにくさである。主にバッドデザイン大賞にあげられるものの大半がこれである。
超芸術トマソンのように、このような分かりにくさを倒錯的に楽しむ方法がないともいえない。
分類2 : 機能性を優先したが故の分かりにくさ
UI設計の現場でよく発生する現象である。初めて見た時の直感的使いやすさより、使い込んだときの使いやすさを優先したときに現れる。専門的なソフトウェアによく見受けられる。
機能性を優先したい5%のユーザのために複雑な機能を用意した結果、残り95%が使いづらくなったり、ソフトウェアの更新性に悪影響を及ぼしてしまうことがある。
この場合、複雑さはできるかぎり整理されることが善とされている。例えば、ユーザにあわせてUIをカスタマイズ可能としたり、多機能をうまく隠すことで表面上のシンプルさを保つ方法が挙げられる。
Sketchの、シンボル名に"/"を加えると階層化できるという機能は、多機能の分かりやすい解決として挙げられる
分類3 : 多様性を担保するための分かりにくさ
様々なユーザのニーズに対応するため、そして飽くなき競合他社との競争の結果生まれた複雑な携帯電話や保険の契約メニュー。「選択することのコスト」が顧客にも意識された今、あえて明快さを優先してメニューを絞る方法と、見積もりツールなどを用意して "プランを探す手間" を省く方法が考えられる。
次回予告
"分かりにくさ"の分類学は、今はじめて立ち上がったものなので、おそらく今回説明できなかった分類がこれからも多く発見されると考えている。
次回は、"善い分かりにくさ"という我々にあまり馴染みがない、しかし今回の試みでそれがどういうことなのか理解したい"分かりにくさ"のもう一つの側面について考察したい。
# お気づきかもしれないが、この「プロレッシブな日常」という連載自体「よく分からないユーザ体験」を多分に意識している。
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