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普通を極める

数週間にわたり、プログレッシブについて考えてきたこのアドベントカレンダー。各人のプログレッシブ像もだいぶ見えてきた。

とは言え。プログレッシブじゃないほうがいいときが結構ある。なにがなんでも期待どおりのことをし、余計な裏切りをしないことが圧倒的に正しい場面。

たとえばプログラミング。やったことのない人からすると、むずかしいことをむずかしい感じでコンピューターのために書く作業かと思うかもしれないが、実際はちょっと違う。むしろどんなに複雑でむずかしいことも簡単にわかるサイズまで小さく切り分けて、可能なかぎり人間にとってわかりやすく記述する作業だ。

書いたコードを実行すると何が起こるのかということを、読んだ人が正しく予期できるように書かないといけない。そうしないと、どこに間違いがあるのか見つけるのにすごく時間がかかったり、新しい機能を書き加えるときに困ってしまう。複数人のプログラマーと共同作業しているときはもちろんのこと、自分ひとりのプログラムであっても、半年後の自分は他人。他人が、できるだけ正確な期待をもってくれるように配慮するのが原則だ。

期待を裏切ると人が死ぬ

デザインにおいてもそう。ある状況下で人はなにを期待しているのか、そして実際に起こることを正しく予期してもらうにはどうすべきか、といったことをよく考える。あえて驚きをデザインしたいとか、わかりにくさをデザインしたいなどの特殊な要請がない限り、ユーザが最小限の認知負荷で間違いなく目的を達せられるようなデザインが基本となる。

「あなたのサイトのユーザは、ほとんどの時間をほかのサイト上で過ごしている」との格言もあるように、ユーザは大量の「ほかのもの」との接触から蓄積したさまざまな期待を抱えてやってくる。言語化するまでもないほど当たり前の慣習的な期待もあれば、自覚しづらいぼんやりとした類型的な期待もある。デザイナーがこういった既成の期待をはっきり捉えていないと、使いづらいだけでなく、ときに危険なものが出来上がる。

誤飲事故の多い洗剤


プログレッシブ ♥ 普通

アーティストでもない以上、特に仕事のコンテクストにおいては、「普通がいちばん」という保守的な意識で取り組む作業が一般的には多いだろう。プログレッシブとは程遠い。ここぞというときに革新的なひらめき、クリエイティブな着想が必要になることはあっても、そういうアイディアを実際に形にするための作業はしばしば地味で、「普通」の積み重ねだ。プログレッシブなんか目指してないで、もっと「普通」を上手にこなすための技術を磨いたほうがいいのでは……?

しかしなんと都合のいいことに、プログレのために培ったスキルはそっくりそのままコンサバに適用可能なのである。

・たくさんの既存枝を観測(=知識量が多い)
・枝同士の関係性をマッピング(=知識の応用力が高い)
・人がまだ意識化していないような期待まで先回りして捉える

どれも「普通」の作業にものすごく役に立つ能力だ。

「普通の絵」を描いてもめちゃくちゃ上手いピカソ。ゴーストライトした「普通の曲」を、「あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる」と言う新垣隆。適当にデタラメをかますことがプログレッシブではないし、プログレ者だからコンサバができないなんてことは決してない。

極限まで磨かれた「普通」は、往々にして目立たない。あまりにも当たり前に、期待にぴったりと寄り添ってくる。なんの摩擦抵抗もないので、それが優れていることにすら気づかれない。

機械的にただ定石を繰り返すのではない。真に普通を極めるということは、それ自体が奥深い営みだ。それぞれの文脈や、新しい情報によって常に変容しつづける「普通」。全力で追いかけないと追いつけない。


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セオ商事のプログレッシブ Advent Calendar 20日目。セオ商事のメンバー3人が「プログレッシブ」をテーマに25日間、交代で記事を書きつづけます。