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凡庸な人間がプログレッシブになる

「天然」や「天性の才能」というものを信じるだろうか。

何の計算もなくとった言動で笑いをとれてしまう人。「やっべー勉強してねぇ」といってしっかり100点をとる人。スポーツや芸術の分野で、周囲の何倍も秀でた力を難なく発揮する人。

本当に素質に恵まれている場合もあるだろうが、ただ努力を隠すのが得意だったり、普通の人なら努力と思うようなことをそれと思わずに行っている場合もあるだろう。競争率の高いフィールドであればあるほど、生まれもった才能だけをたよりに突出した成果を収めつづけることは稀だ。バレエや漫才などの芸では、観客に努力が伝わってくるようではまだまだ努力が足りない、ということもある。

世間はひたむきな努力を称えないわけではないが、やはり天才を発見して担ぎ出したほうが盛り上がる。スターを見たい、畏敬の対象がほしい、という人々の気持ちに応えるためにも、天才を演じなければというプレッシャーもあるだろう。

そういうわけで、天才と努力家の判別は意外にむずかしい。

プログレッシブはつくれる

さて、天性のプログレッシブは存在しうるだろうか。

やることなすことすべてプログレッシブ。計算も意図もなく次々と斬新なものを生んでいるようにみえる人。

そんなプログレッシブのカリスマを発見したとして、それが天然プログレであるか努力プログレであるかを考えるのは無意味だ。「ただの行動」を「努力」たらしめるのは、認識者のさじ加減ひとつでしかない。当人に「逸脱しよう」という意図があったのかなかったのか、そんな立証不可能なことにこだわっても仕方ない。

われわれがすべきは、空想上の天然プログレッシブに憧れることではなく、工学的なアプローチでプログレッシブな状態を作り出すことである。

「個性」からの解放

既定の価値基準に沿って改善を積み重ねていく「進歩」ではなく、価値判断を保留した状態で変化を乱出する「無指向性プログレッシブ」。まだ誰も見ぬ「枝」の創出を効率的に行うために、整えるべき条件とはなにか。

「既にある枝」の存在をとにかく多く把握することである。

既存枝のマップを持たない状態で暗闇のなかに枝を作り足したところで、そこには先人がとっくに立派な枝を生やしている可能性が高い。人の考えることなんて似通っているので、当然である。こんなやり方ではあまりに無謀であるし、ニーチェを発見したのは世界で自分が初めてだと思い込んでいる中学生と変わらない。

世界を覆い尽くしている既存枝を無差別に、大量に把握していくことはすなわち、自分の根源的な凡庸さを把捉することである。凡庸の知こそが人を自由にする。自らがありきたりな存在であることを真に理解し、個性という幻想から解き放たれたとき、ついには無私の既存枝観測マシーンとなる。

見ない 聞かない 読まない

はじめは「見る」「聞く」「読む」といった等倍スケールで、「楽しむ」「学ぶ」といった私利的な態度で既存枝と接し、「感想」というパーソナルな思い出の結晶を生成させるのが普通だ。これはこれで有意義なモードである。しかし工学的にプログレッシブを生み出すという目的には適っていない。

私的な「消費」から、俯瞰的・無私的な「観測」に切り替えるとはどういうことか。たとえば、スターウォーズを観測するのに、映画を丸一本、最初から最後まで見る必要はない。予告編などでだいたいの映像の感じをつかみ、あらすじでも読んだら、あとは頻繁に参照される部分(台詞や概念)を確認しておけば十分である。

さらにいうと、スターウォーズを直接見る必要すらない。スターウォーズという枝それ自体の内容の把握よりも、ほかの枝との関係性の把握のほうが重要だからだ。そのような関係性の情報は、元のソースに一切あたることなく、二次的言及だけから獲得できることが往々にしてある。

それじゃあ世界でひとつだけの「私の感想」が生まれないじゃないかって? 思い出してほしい。われわれはみな凡庸なのだ。他人の感想を十個でも読めば、「私の感想」はそのなかにあるだろう。それに、二次的言及を合成したときに浮かび上がる思いもまた「私の感想」ではないか。どうしても「私」が大事だと言い張るのなら。

あとはこっちのもん

観測すればするほど観測効率が上がるという好循環が起きる。好きも嫌いも関係ない。点ではなく面で捉える感覚がついてきたり、類推力が上がれば影を見るだけで像を写しとれるようにもなってくるだろう。新しく見つけたノードをマップに書き加えるとき、既に把握した幾多のノードを使って相互参照的に記述することができるため、新しいものの了解に費やすメンタルコストもみるみる下がっていく。

そうやってマップが充実してくれば、まだ枝の生えていない小さな余白を見つけたり、まだつながっていない枝同士を頭のなかで接合してしまうのはもはや時間の問題である。工学的に整えた条件下で、自然発生するプログレッシブ。既存枝の把握にさえ意識を傾けていれば、打率は勝手に上がる。暗闇でバットを振る必要はないのだ。


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セオ商事のプログレッシブ Advent Calendar 14日目。セオ商事のメンバー3人が「プログレッシブ」をテーマに25日間、交代で記事を書きつづけます。