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なぜ人は川の写真を捨てるのか? / 哲学のPDCAを考えよう

newQメンバーによるPodcast「ニューQ」を配信しています。
瀬尾、今井、難波、永井を中心に、ときにデザイナーや音楽ライター、哲学研究者と様々なゲストを迎え、日常会話の延長にある「問い」について考えます。

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こんなことについて考えている

Podcast「ニューQ」では、日常会話の延長にある「問い」について、くだらないことから真面目なことまで、カジュアルかつ真剣に考えています。

たとえば、過去にはこんな対話をしています。


なぜ水辺の写真を撮ってしまうのか?

May 6, 2021 時間は鑑賞可能か?写真編 ゲスト:山本華さん

時間は鑑賞可能だろうか?という問いが突如浮かんだという瀬尾。

というのも、わたしたちは作品や写真を通して、時間の変化そのものを鑑賞しているのではないか?と思ったからだそう。

そこで、最近newQチームでお仕事をお願いしている写真家の山本華さんをゲストに、写真にどんな時間が流れているのか、考えてみました。

山本さんによれば、ブルックリンのリサイクルショップでは箱いっぱいにネガが売っており、プリントは家族写真、ネガフィルムは風景が多いとのこと。中でも、川の写真が一番多く捨てられていたそうです。

なぜわたしたちは水辺の写真を撮りたくなってしまうのでしょう?そして、なぜそれを簡単に手放してしまうのでしょう?


ファウンド・フォトに表象される時間

山本さんによれば、川の写真に多いのは、車窓から撮られた匿名的な川だそう。それ自体が楽しいというよりは、写真を撮るひとの状況が発見され、メタ的な楽しみを得られるとのこと。

ファウンド・フォトと呼ばれる写真たち。

こうした写真たちを見るとき、いつ誰が撮ったかわからないという状態を鑑賞しているのか、昔のものをいま見ているという観点を鑑賞しているのか、何が起きているのでしょうか。


哲学者たち、書を読んで、街に出よう

May 31, 2021 哲学のPDCA

こちらは久々にnewQチームの瀬尾、今井、難波、永井での配信です。

先日、応用哲学会で「廃墟のペルソナ」というタイトルで、廃墟にいたときの美的経験について発表したという難波。そこで試みたのは、哲学のプロトタイピングでした。

そもそも、分析美学と呼ばれるジャンルの中で「廃墟の美学」について、廃墟を描いた写真や作品を用いて論じられているものはあっても、美学者たち(哲学者たち)が実際に廃墟に行った経験については書かれていなかったとのこと。

文献を読み、概念を作り、直接廃墟に訪れ、その概念が対応するのか吟味し、概念を再度調整しつつ、その経験を記述する。これは哲学のPDCAと言わるのかも知れません。

PDCAの「P」は「Philosophy」の「P」?プロトタイピングの「P」?何が「D」で「C」で「A」なのでしょうか。「実は考えてなかった」という難波。みんなで哲学のPDCAについて掘り下げていきます。

難波の応用哲学会での発表はこちらで閲覧することができます。

どのような対話が交わされたのか。ぜひPodcastを再生してお聞き下さい。

また次回をお楽しみに!

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