プログレス〈進歩〉よ、何処へゆく
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プログレス〈進歩〉よ、何処へゆく

プログレス(進歩)という概念自体はあまりプログレッシブではない。

というのも、進歩とは、ある方角に向かって進んでいくことが前提されている。「ただの変化」と「進歩」の違いはなにか。「変化する前より、変化した後のほうが良い。これは良い変化だ」と価値判断を下しながら、ひとつの方向に沿って変化を並べた結果が「進歩」だ。

これはごく単純にリニアな前進であることもあれば、複雑に分岐しながら進んでいくこともあるが、いずれにしても強く「指向性」を感じる概念である。

進歩の正体

何がこの指向性を生んでいるのだろうか。

「時間の経過」だろうか。いや、放っておいても時間は進む。〈1日目に変化A、2日目に変化B、3日目に変化C〉を行ったところで、ただ「3回変化しただけ」かもしれない。時系列に沿って変化しているというだけでは、進歩とは呼べないだろう。

プログレスバーなどで表現される進捗状況のようなものは、一見すると時間軸に沿って進んでいるように思えるが、それはあくまで副次的な性質である。このような進捗型の進歩では、予め策定した「満たすべき要件」を項目化し、完了した項目が多ければ多いほど良い、進んだ、とされる。「どのような要件を満たすべきなのか」という価値判断なしには、進み具合を測ることはできない。

技術的な進歩はどうだろう。たとえば「東京〜大阪間の移動にかかる時間が20分短縮された」という変化それ自体は、ただの観測された事象だ。それを「進歩」と呼ぶには、「移動時間が短い=良い」という価値基準がなければならない。

「進歩」として扱われる変化のすべては、このような暗黙のうちに共有された価値基準であったり、誰かの都合で恣意的に設定された価値基準によってのみ成立している。

変化の神に仕える

一方、私が思い描くプログレッシブ像は、これといった指向性をもたない。ただただ変化を創出することだけに価値を置く。「プログレッシブであること=プログレッシブ」という再帰的な盲信によってのみ支えられている、理屈の通用しない価値観だ。つまり、それによって人権意識が高まるか、売上が増えるか、生活が便利になるか、といった良し悪しを測る軸を拒絶する。それらはまた別のフェーズで、別のプロセスを用いて考えるべきことなのである。

こういった無指向性の変化の乱出行為は、同じ方向に成果を積み重ねていくのではなく、まるで関係ない向きに枝を生やしてみたり、関係ない枝同士をくっつけて伸ばしてみたりすることだ。「良くなること」ではなく、「枝を増やすこと」が唯一の目的といえるかもしれない。

のっけから進歩を目指してしまっては、既に見えている方向にしか進めない。プログレッシブ主義によって結果的にソリューションが見つかることはあっても、決して最初から良くなることや得することを目的としたスタンスではないのだ。

プログレッシブ志向 VS プログレ様式

プログレッシブ・ロックという音楽ジャンルも、当初は変化の乱出を志していたはずなのに、いつしか「変拍子=良い」「曲が長い=良い」「難しい=良い」のような指向性の価値基準が設定されていった。プログレッシブという看板が形骸化し、ジャンルとして様式化した結果、プログレッシブ性においてみるみるヒップホップに追い抜かれてしまった、という歴史から学ぶべきことは多いのではないか。

価値基準を疑いつづけること、あまりひとつの方向に進みすぎないこと。「プログレッシブ」と「進歩」は、似て非なるものなのである。


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セオ商事のプログレッシブ Advent Calendar 5日目。セオ商事のメンバー3人が「プログレッシブ」をテーマに25日間、交代で記事を書きつづけます。

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