セオ商事の営業日誌 〜 考えることから疎外されることの哲学 : 『フィルカル』Vol.5 No.3 より冒頭文抜粋
分析哲学の専門雑誌『フィルカル』Vol.5 No.3の特集「哲学のニーズ」に寄稿させていただきました。哲学の専門ではない人からみた哲学への期待とはなにか?について、これまでの個人的な仕事や、セオ商事哲学事業部の活動を通して書いています。
書きながらこれまで感じていたことを言語化していったところ、思いのほか長文となってしまいましたが、デザイン思考と哲学というあまりない組み合わせの話になっているので、そのあたりに興味のある方に読んでいただけると、とてもうれしいです。また専門雑誌ということで、ややハードルが高いので冒頭文をフィルカル編集部より許可をいただいて以下に転載させていただきました。
興味を持った方はぜひ手にとっていただけると幸いです。またニューQメンバー(今井さん、永井さん、難波さん)も記事を書いているので、そちらもぜひ読んでいただけると話の立体感が出るかなと思います。それ以外にも「分析フェミニズムの歩き方」など面白い企画も盛りだくさんです。
声をかけていただいた副編集長の朱さん、ありがとうございました!
セオ商事の営業日誌 : 考えることから疎外されることの哲学
「哲学業界の外から見て、社会や仕事の現場において哲学はどのように求めらているのか?」というお題をいただいたので、そのことについて書いてみたい。
簡単に自己紹介をすると、私はインターネットを中心としたサービスの企画設計やUIデザインを主な業務とする小さな会社(株式会社 セオ商事)を経営している。しかし、気づいたら「ニューQ」という哲学カルチャーマガジンを出版したり、最近では哲学事業部という部門を立ち上げることとなった。ちなみに私以外は現役の哲学研究者ないし、哲学を専門に学んできたメンバーでチームが構成されている。
なぜ、このような会社になったのか?
端的に答えると、私が普段おこなっている仕事において「哲学的に考えること」の必要性を感じたということ、また仕事の手法としてはデザイン思考といわれているメソッドを中心に据えているのだが、そのデザイン思考を哲学でもっと拡張できるのではないか?ということに気づいたからである。
と、このように説明すると合理的なビジネス上の判断という印象があるが、実際のところはそれ以上に哲学への興味関心が湧いてしまったという方が正しい。そしてその実態はもう少し混沌としている。
この原稿を書くにあたり、現在おこなっている仕事から「いかに哲学的な思考が社会に求められ、活かすことができるか」ということについて端的にまとめればよいと当初考えていたものの、いざ説明しようとすると、その見立てや社会から求められていることは日々変化していることに気づく。そこで、なぜこのようなことを行ってみたいと考えるに至ったか、これまでの個人的な経験、そして社会の変化から書いてみることにしたいと思う。それは自分が体験してきたテクノロジー、アメリカ西海岸のシリコンバレーをはじめとするイノベーションカルチャーに感じた違和感と、デザイン思考の流れから哲学への出会いという話になるが、大きくは以下の問いに収束される。
「考えることから疎外されてしまう、とはどういうことだろうか?」
この問いは本稿を書きながら気づいた問いである。セオ商事では、この考えることから疎外されない社会をつくることを目指しているのだが、誰もが考えることから疎外されうる(たとえ哲学者であっても)社会において、どのような対処ができるのかということを様々な実践を含めて紐解いていきたい。
先にもう少し話の輪郭をはっきりさせておくと、我々のミッションは「哲学の民主化」である。それは「考えることから疎外される」という状況への処方箋であり、その民主化のプロセスについてはデザインを民主化させたデザイン思考の営み(デザイナーでなくてもデザイナーのような思考ができるという取り組み)を参考にしようとしている。それと同時に「民主化」というプロセス自体についても批判的に再考したいと考えている。
前半は哲学事業部を立ち上げるまでの個人的な経験。後半はその哲学事業部で行っていることについて紹介する。間に様々な「考えることから疎外される」具体的なエピソードをはさんでいる。
本誌には続いて、以下のような話を書いています
- 考える場によばれないという疎外
- シリコンバレーカルチャーにおける考えることの疎外
- アイデアを考える場における疎外
- 倫理的判断からの疎外
- 哲学的に考えること、そして問いの発見
- 哲学対話について
- 問いを立てるワークショップのはじまり
- 哲学カルチャーマガジン「ニューQ」
- 考えることから疎外されない場作り
- 問いをたてて、それからどうするの?
- メタフィジカルデザインという概念
- 哲学事業部のはじまり
- 哲学はどのように社会にもとめられているのか?
- 哲学の民主化による考えることの疎外はあるのか?
- まとめ : 考えることの疎外と、哲学事業部newQの今後について
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